はじめに
HUCCは1959年から続くクラブです。 それぞれの時代、それぞれのクラブ員が残した思いを銀輪を参考にまとめてみました。
OBの方々へ
もし、間違いや追加すべき事項がありましたら掲示板に書き込んでください。 文字で見るのでは限界がありますので、ご協力いただけると幸いです。
注:1979年以降のツアーの参加者は 「班員として取られた人の数+学外OBの参加者」です。 参加者と完走者の数が大きく違うのはそのためで、現役の参加率はほぼ100%です。
History
1959年
- 医学部2年生数名の発案により、サイクリングクラブ設立の動き。
1960年
- 学生部学生課、サイクリングクラブ設立の団体届正式受理。
- 第1回クラブ創立記念長距離ツアー(札幌〜東京);参加者3名。
- 部則実施、部長、副部長、備品係、会計係、企画係、記録係が置かれる。
- 第2回長距離ツアー(道東:札幌〜帯広〜阿寒〜旭川〜札幌);参加者7名。
- ツアー報告書発刊。
- 顧問として永井義哉先生を迎える。
- 賛助部員として藤短大生加入させる。
- クラブランは毎週日曜走ることに定例化。
1961年
- 部則一部改正。
- 第3回長距離ツアー(道南:札幌〜函館〜江差〜室蘭〜札幌);参加者13名。初の女性参加。
1962年
- 第4回長距離ツアー(道北:札幌〜稚内〜網走〜上川〜札幌);参加者11名。
- ツアーのしおり発刊。
1963年
- 第5回長距離ツアー(道東:札幌〜根室〜阿寒〜襟裳〜札幌);参加者21名。事故による初の落伍者出る。
- 顧問として藤原一先生を迎える。
- ダンスパーティー始まる。
1964年
- 第6回長距離ツアー(東京〜京都);参加者9名。
- 大学祭にて展示とスライドを行う。
- 第7回長距離ツアー(道南:札幌〜函館〜松前〜室蘭〜札幌);参加者18名。
- クラブに10段変速のチャリが出現。
- ラリー競技(北海タイムス社後援)行われる。(札幌〜祝津)
- 春・秋の支笏湖合宿始まる。(1泊2日ランの先駆)
- 現存する最古の部則。
1965年
- 藤短大サイクリングクラブ分離・発足、賛助部員なくなる。
- 第8回長距離ツアー(道北:札幌〜稚内〜網走〜上川〜札幌);参加者24名。
- クラブラン年14〜15回行われる。
- 走り納めという言葉が誕生。
1966年
- 中山峠、新道切り替え・舗装化。
- 冬期合宿、支笏湖にて5日間行われる。(スキー、スケート)
- 第9回長距離ツアー(加古川〜徳島〜高知〜宇和島〜高松);参加者4名。
- 当時はクラブラン雨天中止だった。
- 学生部より予算が出る。
- ツアー参加希望者多数のため2隊に分割。
- 第10回長距離ツアー(道東:札幌〜阿寒〜根室〜襟裳〜札幌);参加者20名。
- 第10回長距離ツアー(東北:青森〜秋田〜宮古〜一関);参加者7名。
1967年
- 銀輪創刊号発刊。
- 寺にて新入生強化合宿行われる。
- 学祭に初めて模擬店出店。
- ダイヤモンド商会と交際開始。
- クラブのユニフォーム、ペナント購入開始。
- 第11回長距離ツアー(道南);参加者21名。
1968年
- 幌見T.T.始まる、当時は未舗装であった。
- 中山峠キャンピング実施。
- 室蘭工大との合同合宿実施。
- 予算・決算を初めて行う。
- 第12回長距離ツアー(道北);参加者32名。
1969年
- 部費月150円に値上げ。
- グループランがランの主体になる。
- 第13回長距離ツアー(道東:札幌〜阿寒〜根室〜襟裳〜札幌);参加者13名。
1970年
- 第14回長距離ツーリング(道南:札幌〜函館〜松前〜日高〜札幌);参加者22名。
- 個人重視の活動(ツアーの途中で個人ランに出るなど)が行われる。
- POTONの前身である、落とし書き帳の内容が銀輪に掲載される。
1971年
- 落とし書き帳、POTON帳と呼ばれるようになる。
- 手稲山観光道路舗装化。
- オリンピック道路(国道453号線)舗装化。
- 春の幌見T.T.開催。
- ベチアラン始まる。
- 真簾峠(簾舞〜常磐)踏破。
- 第15回夏期ツアー(道北:稚内〜網走);参加者22名。ツアーの前後は班ごとに分かれて走る、グループラン形式。(プレリュードのはしり?)
- 秋の幌見T.T.開催、雨のち吹雪。
1972年
- 第16回長距離ツアー(道東:札幌〜阿寒〜根室〜襟裳〜札幌);参加者13名。
1973年
- 第17回長距離ツアー(道南:札幌〜富良野〜函館〜松前〜札幌);参加者22名。
1974年
- JCA(日本サイクリング協会)係発足。(渉外係の前身)
- FCC(藤短大サイクリングクラブ)と合同コンパ。
- ニセコ・チセハウスにて冬期合宿。
- 部室にて新歓コンパ前哨戦、当時は救急車が毎年のように来ていたらしい。
- ツアー壮行会。
- 第18回夏期ツアー(道北:稚内〜北見〜阿寒〜上川〜札幌);参加者30名。大通りで噴水に飛び込み始める。(警察が来た)
- 水産追いコン。(記録上最古)
- ダンスパーティー。
- 走り納め積丹ラン。
1975年
- 泊まりがけのランが月1〜2回に増える。
- 幌見峠舗装化。
- ナポレオン大会行われる。
- 追いコン始まる。(またも警察来る)
- 第19回夏期ツアー(道東:北見〜根室〜襟裳〜札幌);参加者32名。
- 部会にて部室移転を決定。(理学部前第3サークル会館→教養前プレハブ)
1976年
- FCCとのすれ違いが問題化。
- 旧部室お別れコンパ。
- 追いコン、クラブ初のお座敷コンパ。
- 入部金1300円にアップ。
- ツアー集合地までの走りが「プレリュード」と名付けられる。
- 第20回道南ツアー(帯広〜室蘭〜函館〜寿都〜札幌);参加者26人。
- 藤大学祭、打ち上げコンパでFCC全員退席。
1977年
- ストーブリーグ盛んになる。
- きれいな部室、嫌われ汚される。
- クラブラン、ほぼ全て泊まりがけになる。
- 北海学園大と合同で幌見T.T.行われる。
- 藻岩山ナイトハイクに初めての参加。
- 第21回夏期ツアー(道北:稚内〜北見〜上士幌〜上川〜札幌);参加者38名。ツアーで初めて班分けがなされる。
- グループラン道央ツアー隊、有珠山噴火のため中止。
- 駅伝大会に初参加。(12位)
1978年
- 銀輪別冊創刊。
- 初代田岡荘誕生。
- 支笏湖合宿、支笏寮廃止のためYHで行われる。
- 第22回夏期ツアー(道東:北見〜根室〜襟裳〜札幌);参加者41名。
1979年
- コンパ週2〜3回行われる。
- 部費3600円、入部金1500円に値上げ。
- ムキンポ創刊。
- スキー合宿が大滝セミナーハウスで行われるようになる。
- 金輪創刊。
- 石狩浜ランで寮歌指導が行われるようになる。
- 第23回夏期ツアー(道南:寿都〜福島〜青森〜大間〜函館〜札幌);参加者57名。ツアーフリーラン大会始まる。
1980年
- 札幌学生サイクリング連盟発足。(参加7校)
- コンパ会場に「赤ひげ」登場。
- ツアー壮行会、北神会館で初めて行われる。
- 第24回夏期ツアー(道北:稚内〜北見〜士幌〜夕張〜札幌);参加者52名、完走36名。
- 水産追いコンにて、地下街のガラスが蹴破られる。
- 幌見T.T.、工事で距離が縮まる。
1981年
- サイスポ、ニューサイからの原稿依頼がしばしば来る。
- レース班が登場、レースに参加する人増える。
- OB会、部室にて行われる。
- 追いコンでジャンプ大会行われる。
- 第1回北海道一周リレーT.T.行われる。(走行距離2157.6km、Ave=25.4km/h)
- プレハブから新サークル会館へ部室移転。
- 第25回夏期ツアー(道東:網走〜根室〜帯広〜襟裳〜札幌);参加者53名、完走37名。ツアーで初めて知床峠を越える。
1982年
- このころ「勇気ある撤退」という言葉が流行する。
- すずRUNサイクリングクラブ(HUCCのOB+FCCのOG+α)設立。
- 総会;於北神会館 最優秀〜賞に替わりMVC(most valuable club員)創設。
- 田岡荘合宿、参加者なんと50名。
- 第26回夏期ツアー(道南・東北:青森〜大館〜大間〜函館〜札幌);参加者63名、完走44名。
- FCCとの合同部会、その後きよたでの初コンパ。
1983年
- 銀輪に「POTONより」のコーナーが常設される。
- OB会(銀輪会)創設。
- この頃からジュージャンが行われ始める。
- 第27回夏期ツアー(道北:稚内〜北見〜阿寒〜上川〜札幌);参加者61名、完走39名。事故の多いツアーだった。
1984年
- 臨時総会にて部費4200円に値上げ決定。
- 学連忘年会、参加校:北大、藤女大、学園大、札大、道工大、北星大。
- 大滝セミナーハウスにてスキー合宿、10大ニュース、地酒大会が始まる。
- 九州交歓会に初参加、九州7大学サイクリング部との交流始まる。
- JCA係を渉外係と改名する。
- 第2回北海道一周リレーT.T.実施。(走行距離2192.0km、Ave=31.9km/h)
- 学連ラン、参加者100名。(北大34名)
- 第28回夏期ツアー(道東:網走〜根室〜帯広〜襟裳〜札幌);参加者63名、完走42名。
- 走り納めベチアラン、危うく山小屋を燃やしかける。
1985年
- 雪中ラグビー大会4位入賞。
- 新歓コンパ、北神会館出入り禁止になる。(年末に解除)
- 臨時総会にて部費5000円に値上げ。
- 第29回夏期ツアー(道南:五戸〜青森〜大間〜函館〜寿都〜札幌);参加者57名、完走36名。
- 第1回学連ラリー、参加者25名。(北大15名)
- 係制度の見直しについて議論される。
1986年
- コンパで、鳥やんが使われるようになる。(赤ひげ一時閉店)
- 部長戦、なかなか決まらず数回の投票が行われる。
- 今回より係長は執行部内で決定され、臨時総会にて承認する形式になる。
- 卓球大会団体3位、エンジョイコース男子・女子とも優勝。
- 初の空沼ラン。
- 第30回夏期ツアー(道北:稚内〜北見〜士幌〜上川〜札幌);参加者54名、完走32名。(推定)
- 朝里峠ループ橋が完成。
1987年
- 田岡餅つきが行われ始める。
- 第3回北海道一周T.T.実施。(走行距離2194.6km、Ave=32.0km/h)
- 第31回夏期ツアー(道東:網走〜根室〜帯広〜芦別〜札幌);参加者50名、完走26名。
- ツールド北海道、松井さん総合ポイントで4位入賞。
- ツール出場のために北大自転車競技部設立。(のちに独立)
1988年
- 総会 特別賞が廃止される。
- 大滝セミナーハウスにてスキー合宿、地酒大会始まる。
- 大荒れ新歓コンパ、救急車はおろか機動隊まで現れる。
- グループランに隊名が付き始める。(ゴールデンコースとか)
- 第32回夏期ツアー(東北・道南:五所川原〜大間〜函館〜島牧〜札幌);参加者?名、完走33名。(推定)
1989年
- 第33回夏期ツアー(道北:稚内〜北見〜上士幌〜上川〜札幌);参加者60名、完走41名。
- オロフレラン。オロフレ峠舗装・トンネル化。
- 夕張ランでお菊人形隊登場、たたりを受ける?
- 余市ラン、毛無峠舗装化。
1990年
- 飲み会がきよたで行われるようになる。
- 初めてテイセンホールでボーリング大会行われる。
- 30周年記念コンパ、於教食。参加者70名。
- スキー合宿、於大滝。初めてのクラブ成人式で、1年目に升を送る。
- 第4回北海道一周T.T.実施。(走行距離2169.9km、Ave=33.4km/h)
- 第34回夏期ツアー(道東:網走〜根室〜帯広〜夕張〜札幌);参加者88名、完走65名。
1991年
- クラブに初の外国人入部。
- FCCから銀輪に最後の投稿。(後に廃部)
- 十倉ハウス取り壊しに伴い、NEW田岡(水野アパート)誕生。
- G.W.グループラン、隊名がだんだん面白くなってきた。(アルプスはまっ隊とか)
- 桂沢湖ラン。「君、飲みたまへ」という言葉が流行る。
- 第34回夏期ツアー。(東北・道南:黒石〜十和田湖、中止)
- 奥入瀬渓流にて古賀利矢さんが溺死、ツアー中止。
- 事故報告書提出。(原因及び反省、対策、謹慎期間6ヶ月)
- 田岡荘(十倉ハウス)取り壊し。
- 安全対策委員会設立、以後safety note等の作成を担う。
1992年
- 4月から土曜日の授業がなくなり、後発(土曜の午後に出発する直行隊)がなくなる。
- G.W.グループラン、隊名に個性が出だす。(UFO隊など)
- グループランの隊長会議始まる。
- 学祭にて史上最高の売り上げ記録。(37万円)
- 第35回夏期ツアー(道北:稚内〜美幌〜十勝三股〜美瑛〜札幌);参加者は過去最高の7班・92名、完走53名。
- 台風接近し、倶知安ラン中止。
- 走り納め石狩浜ラン、暴風雨で中止になり、オリエンテーリング企画のみ行われる。夜は大コンパで大荒れ。
1993年
- オリエンテーリング。大通りの献血ルームがクラブ員で埋まる。
- 冬の学連企画始まる。バレー大会、クイズ大会、スター大会(?)が行われた。
- 新歓コンパ、於北神会館。うすめたSSが使われだす。
- サッカー大会で優勝。
- 学祭、ソフトボール大会で敗者復活戦を勝ち進みベスト4入り。
- 第36回夏期ツアー(道東:根室〜斜里〜帯広〜札幌);参加者88名、完走29名。
- 走り納め、エッセンはツアーエッセン大賞をとった3班による食王丼。
1994年
- 学祭、ソフトボール大会で優勝。
- 春の幌見T.T.この年より7月に行われる。(名前は”春”のまま)
- 第37回夏期ツアー(東北・道南:大湯〜青森〜大畑〜函館〜札幌);参加者76名、完走29名。
1995年
- 水野アパート廃止、一戸建ての家屋へ引っ越し。
- 第38回夏期ツアー(道北:稚内〜湧別〜上川〜新得〜滝川〜札幌);参加者52名、完走20名。
1996年
- この年は大雪・晩春で新歓ランが遅くなるなどの影響があった。
- ツアー後行われていた学連ラリー廃止。
- 石狩浜ラン、吹雪のため途中で引き返す。
- G.W.グループラン、峠では吹雪に見舞われた隊も。
- 第39回夏期ツアー(道東:根室〜宇登呂〜新得〜滝川〜札幌);参加者65名、完走23名。
- 第5回北海道一周T.T.実施。(走行距離2213.1km,Ave=31.03km/h)
- 走り納め野幌ラン、雪で帰りは雪道走行。
1997年
- 山口さんにより、初代H.U.C.C.のページ開設。
- 一日散歩企画登場。JRの一日散歩切符を使ってどこかへ行くという企画。
- 第40回夏期ツアー(道南:平泉〜青森〜大間〜室蘭〜札幌);参加者58名、完走26名。
- 学連ラン、岩見沢青年の家にて大宴会。警備員に怒られる。
1998年
- 銀輪に「OB POTONより」のコーナーが掲載される。
- お買い物企画登場。
- 雪遊び企画(かまくら作り、雪合戦など)始まる。
- ツーリングマップルのモニターに参加、昭文社よりTシャツを頂く。
- 第41回夏期ツアー(道北:稚内〜常呂〜上川〜雨竜沼〜札幌);参加者61名、完走30名。
- 走り納めベチアラン。帰りに秘宝館に行く隊4つあり。
1999年
- この頃より個人ランで海外に行く人が増加。
- バレーボール大会、エンペラー吉田が4位。
- 学祭たこ焼き、関西人の多さと晴天に恵まれ過去2番目の売り上げ。
- 第42回夏期ツアー(道東:根室〜斜里〜新得〜札幌);参加者71名、完走35名。
- ツアーフリーラン大会優勝者への「マイヨ・カヤマ」の継承が始まる。
- 40周年記念パーティー。於はるにれ。
- 洞爺湖ラン、台風のため中止。先発した人を車で迎えに行ったりした。
- 第6回北海道一周T.T.実施。(走行距離2309.7km、Ave=30.3km/h)
- 大雪の秋のグループラン、予定を切り上げて輪行して帰ってくる隊も。
2000年
- 記録的な天候不順、4・5月の雨日数30日、晴日数10日という悲惨さ。
- G.W.グループラン、新入生4人で1年目のいない隊がほとんどで、コースを勝手に変えて走ったことが問題化。
- 幌見峠頂上展望台工事、ロードヒーティング埋設工事により、代替として手稲山T.T.行われる。
- 第43回夏期ツアー(東北・道南:石鳥谷〜青森〜函館〜倶知安〜札幌);参加者59名、完走27名。
- 吉野さんにより、新H.U.C.C.のページ開設。
2001年
- 教食2階のBOX全面撤去、新歓期のみ9時〜18時の利用が認められるにとどまる。
- 田岡のトイレが壊(さ)れる。
- 記録的寒波 「最北の不凍湖」支笏湖結氷。
- この年から、1年生のテスト期間が7月下旬〜8月上旬になったことで、ツアー日程変更される。
- BOXのない新歓活動だったが、さほど影響なく、1年目11人入部。
- 第44回夏期ツアー(道北:稚内〜上湧別〜富良野〜札幌);最終日前日は台風が接近したものの、大通ではきちんと晴れた。
- 幌見峠が観光展望台として新規オープン。夜間は有料になるが、自販機も設置された。
- 走り納め、平岡公園エッセンラン。ジンパ禁止の立て札に構わずエッセンを作っていたが、終了間際に小学校の先生に見つかり危うく通報されかける。
2002年
- クラブラン、ツアーともに天気に恵まれなかった。
- 第45回夏季ツアー(道東:根室〜羅臼〜釧路〜札幌);最終日は大通りゴール直前に雨がやむも道警出動
2003年
- 総会にてクラブ史上初の女性部長誕生。
- 秋の幌見峠TTは積雪のため、ゴール地点が変更となる。
- 「きよた」が移転のため一時閉店、飲み会会場として24条「なると」が使用される。
- 田岡が桑園近くに移転。一戸建てからアパートへと変わる。
- 第46回夏季ツアー(東北・道南:平泉〜青森〜室蘭〜札幌);執行部が途中離脱で2年目が暫定班長になる事件も
- 水産追いコンで部長自ら離札(2ヶ月後に帰札)。
2004年
- 第47回夏季ツアー(道北:稚内〜名寄〜遠軽〜美瑛〜札幌);部長が院試で途中離脱
- ツアー中、当時1年目の1人が食中毒で入院するもツアー大賞。
- 執行部の代(当時2年目)の人数が少なく、一年目の一部を含めた変則的な執行部編成となる。
- 「きよた」が営業再会。
2005年
- たこ焼きの売り上げが史上初の40万円突破!
- 当時の備品長がツアー集合日に大遅刻、350キロの全自走。本人は急に熱い思いが込み上げてきたとか。
- 様似で当時2年目が対車と事故、大事に至らず済む。
- ダンスパーティがクリスマスパーティへと変わる。
2006年
- たこ焼きの売り上げ50万円の大台!届出がなかったので怒られる。
- 第49回夏季ツアー(東北・道南:北上〜青森〜大滝〜札幌)
- 秋のグループラン悪天候により中止。
2007年
- たこ焼きはこの年も50万円突破。
- 第50回夏季ツアー(道北:豊富〜稚内〜名寄〜遠軽〜美瑛〜札幌)
- ツアー中、当時1年目が蜂に刺されるも大事には至らず。
2009年
- たこ焼きは80万円突破。
- クラブ創立50周年記念式典
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